大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和26年(タ)39号 判決 1956年9月28日

主文

原告の請求を棄却する。

反訴原告と反訴被告とを離婚する。

反訴被告を、反訴被告と反訴原告との間の未成年の長女川村よしえの親権者と定める。

反訴被告は反訴原告に対し二二七、〇〇〇円を支払え。

反訴原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は本訴、反訴に関するものとも全部原告(反訴被告)の負担とする。

この判決は主文第三項に限り七五、〇〇〇円の担保を供するときは、反訴被告に対し仮りに執行することができる。

事実

(省略)

理由

当裁判所が真正に成立したものと認める甲第二号証(戸籍謄本)によると、原告は昭和二五年五月一〇日被告豊子と婚姻の届出をした事実を認めることができる。

まず、本訴について判断する。

原告は、被告豊子は原告との婚姻後度々実家に帰り、被告栄と情交関係を結んだと主張するから考えてみよう。甲第一号証の一、二の手紙が、被告栄が被告豊子にあてて書いて差し出したものであることについては、これを確認できる証拠は何もなく、原告本人尋問の結果中「原告が被告豊子の祖母死亡後同被告の針箱の引出の底で右手紙を発見した。」旨の部分は後に掲げる証拠と対照すると信用することができない。甲第一一号証の一から五までは、原告本人尋問の結果によれば、家計簿と同じ帳面に記載されていたことが認められるから、他人にかくす意図があつたものとは考えられず、被告豊子本人尋問の結果(第一回)によると、これは被告豊子が流行歌の歌詞等を記載したに過ぎないものであつて、被告栄その他の男性に対する手紙の下書でないことが認められるから、右書証をもつては原告の右主張を肯認することはできない。

前示甲第二号証、証人川村定一の証言により真正に成立したものと認められる乙第一号証、証人竹田津すみれの証言により真正に成立したものと認められる乙第三号証、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第三号証(戸籍謄本)、乙第四号証の二、三(審問期日調書写)、証人山田末吉(第一、二回)、大野太郎(第一、二回)、大野久男、竹田津すみれ、大野信男、福本茂、金田千代、大野まさえ、木村ユキヱ、高田愛子の証言、証人川村定一の証言の一部、被告栄、同豊子(第一、二回)各本人尋問の結果、原告本人尋問の結果の一部を総合すると、原告は昭和三年九月一四日生れ、被告豊子は昭和二年九月三〇日生れであつて、原告は父川村定一が買い受けた山林を伐採するため、昭和二四年三月一〇日頃から同年五月上旬まで雇人二人とともに被告豊子の居村の大野しず方二階に間借りをしたが、しず方に同居していたその孫の被告豊子と知り合い、同年四月二一日夜始めて被告豊子と情交関係を結び、原告が山の仕事を終えて自宅に帰つた後も引き続き関係を継続した。この関係は被告豊子の居村でひろく知れわたつたので、被告豊子の両親としても同被告と原告との結婚の話を進めることとなり、交渉の結果、原告は昭和二四年七月一七日山田末吉を媒酌人として被告豊子に結納三〇、〇〇〇円、酒肴料五、〇〇〇円を贈りここに婚約は成立した。被告豊子は原告との関係を継続している間に原告の子を懐胎し昭和二五年二月三日妊娠二ケ月か三ケ月で流産したが、その際原告も附きそつて世話をしていた。被告豊子は同月五日無理を押して原告方で原告との結婚式を挙げ、引き続き同居した。その後被告豊子は盆の藪入、秋祭その他居村の風習に従い実家に帰つていたこともあり、多くは原告も同伴宿泊していた。昭和二五年一二月三〇日被告豊子の祖母しずが死亡したので、同被告は実家に帰つたが原告も弔問に行き、昭和二六年一月七日祖母の葬式が行われるについて、原告は同月五日から九日頃まで被告豊子の実家に泊つて手伝をした。被告豊子は当時臨月であつたので、出産のため引き続き実家に滞在したが、同月一七日女児を産むと、原告は父定一とともに被告豊子の実家に来て、原告は同月一九日まで泊つていた。原告は昭和二五年一一月被告豊子の居村で同被告が原告との婚姻前から婚姻後まで被告栄と情交関係を継続しているような噂を聞知したが、特に問題とするに至らなかつた。ところが原告の父定一は昭和二六年一月二二日女児出産の七夜の前日に、「よしえ」と命名することを申し入れるため、被告豊子の実家を訪れた際、その近所で被告豊子が被告栄と情交関係があるとの噂話を聞いて、これを真実と思いこみ、即日被告豊子の母大野まさえにこの事実を告げ、ついに原告の方から被告豊子との離婚を申し出て来た。しかし被告栄は昭和七年三月一〇日生で、被告豊子の弟と小学校の同級生の関係で被告豊子と知合ではあつたが、被告豊子と情交関係があつたようなことはない。被告栄は甲第一号証の一、二の手紙を書いたようなことなく、原告の父定一、原告の姉の夫井上春吉に対し被告豊子と情交関係があるように答えたこともない。原告はその後被告豊子を相手方として奈良家庭裁判所に家事調停の申立をしたが、被告栄は調停委員に対し被告豊子と情交関係がないことを申したものであり、調停期日には、案内のため被告豊子に同道した野本照夫がよしえを抱いていたことはあるが、被告栄は同道したことはない。以上のように被告豊子は原告との婚姻の前後を通じて被告栄と情交関係のあつたことはなく、従つてよしえは被告豊子と原告との間に生れた子に外ならない事実を認めることができる。証人井上春吉、市川マス(第一、二回)川村定一の証言、原告本人尋問の結果中右認定に反する部分は信用することができない。

以上のとおりであるから、被告豊子が被告栄との間に情交関係があつた旨の原告の主張はこれを確認することができず、右主張を前提として被告豊子との離婚を求め、被告豊子或いは被告両名に対し損害賠償として金銭の支払を求める原告の本訴請求は総て失当としてこれを棄却しなければならない。

次に、反訴について判断する。

前段約定のとおり、被告豊子は被告栄との間に情交関係がなかつたにかかわらず、原告は被告豊子の居村の噂話を軽信し、充分慎重な調査を行わないで、この事実に基いて被告豊子を相手方として離婚の調停の申立をし、更に離婚等の訴を提起し、なおよしえを原告の子でなく被告栄との間の子であると主張するようなことは、被告豊子に対する重大な侮辱であつて、被告豊子として原告との婚姻を継続することができない重大な事由があるものと認めるのを相当とする。従つて被告豊子は原告との離婚を求めることができるものといわなければならない。

証人大野信男の証言によると、被告豊子と原告との間に生れた長女よしえは原告が引き取らないため被告豊子が実家で養育していることが認められるが、被告豊子の方でもよしえの将来の幸福のため原告をその親権者と定めることを希望しており、諸般の事情から原告をよしえの親権者と定めるのを相当と認める。

進んで、被告豊子の慰謝料の請求について考えるに、被告豊子が原告と離婚するのやむなきに至つたのは、前示のとおり原告の責に帰すべき不法な行為によるものであるから、原告は被告豊子の受けた精神上の苦痛について、被告豊子に慰謝料を支払うべき義務があることが明白である。

被告豊子が昭和二年九月三〇日生れであることは前示のとおりであり、証人大野信男、大野まさえの証言、被告豊子本人尋問の結果(第一回)によると、被告豊子は農家の大野信男、まさえの長女として生れ、居村の高等実科女学校を卒業し、初婚として原告と婚姻したものである事実が認められ、前示甲第二号証、当裁判所が真正に成立したものと認める甲第三号証から第七号証まで、第八号証の一、二、第九、第一〇号証、証人川村定一の証言によると、原告は川村定一の三男であるが、父定一の経営する山林伐採業を手伝い、自ら居村で田畑五反余を所有し、父定一は居村その他に価格合計数十万円に相当する宅地家屋山林を所有する外、貨物自動車一台を所有している事実を認めることができる。被告豊子が女児を出産した後初婚に破れ、将来良縁を得ることが相当困難となつたことは明らかであるから、右認定の事実を参酌すれば原告は被告豊子に対し慰謝料として二〇〇、〇〇〇円を支払うべき義務があるものといわなければならない。

次に被告豊子のよしえについての養育料の請求について考えてみるに、証人大野信男、大野まさえ、木村ユキヱの証言によれば被告豊子は昭和二六年一月一七日よしえの出産以来現在までその実家で同人を養育しているものであり、被告豊子は実家の農業を手伝つているが、その養育に要する時間だけ労働に従事することのできないことは明らかであるから、一般の経済事情に照し、特別の事情のない限りその養育のために要する費用は一ケ月三、〇〇〇円を下らないものと認めるのを相当とする。従つて原告は被告豊子に対しその半額の一ケ月一、五〇〇円の割合によつて昭和二六年二月一日から昭和二七年七月三一日まで一八ケ月間合計二七、〇〇〇円を支払うべき義務があるものである。

そうすると被告豊子の原告に対する反訴は原告に対し原告との離婚を求め、慰謝料二〇〇、〇〇〇円、養育費二七、〇〇〇円合計二二七、〇〇〇円の支払を求める限度で正当としてこれを認容すべく、その余の部分は失当としてこれを棄却しなければならない。

そこで訴訟費用の負担について民訴法八九条九二条但書仮執行の宣言について同法一九六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 熊野啓五郎 中島孝信 芦沢正則)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例